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 「もんじろうかわら版」(30年度第22回)
 「日本煉瓦製造株式会社文書が県指定文化財になりました!」
 

展示のお知らせ

文書館展示室のオープンは
6月25日(火)です。

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開館時間・休館日

【開館時間】
 午前9時~午後5時
【休館日】
 月曜日、毎月末日、
   祝日、
   年末年始(12月29日~翌1月3日)
 特別整理期間(春・秋各10日間以内)
 H31文書館カレンダー.pdf
 H31催し物案内.pdf
 

お問い合わせ先

Tel:048-865-0112(代表)

Fax:048-839-0539
Mail:
p6501121@pref.saitama.lg.jp

〒330-0063

さいたま市浦和区高砂4‐3‐18
交通案内
文書館周辺地図

 

カウンタ

COUNTER492023

埼玉県立文書館・外交史料館共催展示 「地図アラカルト 世界と地域」

1 期間        平成26年1月4日(土曜日)~平成26年2月23日(日曜日)
              ※ 休館日 : 月曜日、国民の祝日、休日

2 展示場所     埼玉県立文書館 1階展示室  

3 観覧料       無料

             →展示解説はこちらから.pdf



  県立文書館では、外務省外交史料館との共催により、両館収蔵の記録資料による企画展示「地図アラカルト 世界と地域」を開催します。外交史料館は、わが国の外交において歴史的価値のある記録文書を保存管理し、利用に供するとともに、外交史料の編さんを行ってきた、外務省の公文書館です。同館が地方自治体の文書館と共催展示会を行うのは今回が初めての試みです。県立文書館にとっても、国の機関を迎えての展示は初めてのことです。

 今回の展示では、一般の方々にも見てわかりやすい「地図」をメインテーマに選び、幕末のペリー来航から昭和20年代の戦後復興期までの時代をたどります。 

 外交史料館からは、日本外交史上の重要な場面に触れることができる記録文書と地図資料が出品されます。県立文書館からは、県庁や県内各地の名望家らが保存してきた地域の地図資料を展示します。国の重要文化財に指定されている「埼玉県行政文書」からも関係文書を紹介します。


◎ 展示の構成と主な資料、点数   *は複製


【外交史料館×地図 ~日本と世界を結ぶ地図~】

1 開国:ペリー艦隊図、江戸在留外国人遊歩規程下調図

2 日清講和条約:条約調印書、附属地図(遼東半島地図)

3 サンフランシスコ講和会議:吉田茂演説原稿*、サンフランシスコ地図

4 パリ万国博覧会:博覧会場全図

5 外交史料館の紹介:日米修好通商条約*、清国国書


 【県立文書館×地図 ~地域と世界を結ぶ地図~】

1 異国と地図:万国輿地全図、坤輿図識(幕末の世界地図と地誌)

2 黒船と地図:嘉永六年渡来黒船図、久里浜での書簡受取渡之図

3 近代化と地図:地租改正の地引絵図、迅速測図原図*、河川台帳実測図

4 旅と地図:昭和元年武州松山附近名所図会、関東地方鉄道路線図

5 戦争と地図:日露戦争の会戦図、陸軍作製の秘密地図

6 復興と地図:熊谷復興都市計画図、帝都地形図、米軍撮影空中写真


※ 展示点数:約50点(写真パネルによるものを含む) 資料保存のため、期間中一部展示替えを行います。
 

「公文書が伝える産業・ものづくり~100年前の埼玉ブランド~」

1 期間        平成25年10月22日(火曜日)~平成25年12月22日(日曜日)
              ※ 休館日 : 月曜日、国民の祝日、休日

2 展示場所     埼玉県立文書館 1階展示室  アクセス

3 観覧料       無料

            →展示解説はこちらをクリック




■ 開催にあたって


 
今年、「小川和紙」の名で知られる細川紙が、ユネスコの無形文化遺産の候補として申請されました。2020年東京オリンピックの開催決定では、川口の鋳物でつくられた前回の聖火台が改めて注目されました。いまや文化遺産とまで呼ばれるこれらの「ものづくり」は、かつては日本の近代化を支える重要な産業でした。

 今から100年前の大正元年(1912)、陸軍特別大演習のため大正天皇が行幸されました。このとき県が献上した県誌と写真帖では、県内産業の歴史と現況が詳しく紹介されています。一方で県産品の全県調査も行われ、農産物や農産加工品、織物や工芸品など、よりすぐりの名産品が献上されました。まさに「100年前の埼玉ブランド」ともいうべき品々です。

現在も地域に根付いている伝統産業―今回の展示では、小川和紙、川口鋳物のほか、秩父織物、狭山茶、そして県内各地で盛んであった蚕糸業を取り上げ、100年前の活況の様子とその振興策を、国指定重要文化財「埼玉県行政文書」をはじめとする記録資料で振り返ります。

平成25年10月

            埼玉県立文書館
 

コーナー展示「新公開 戸谷家文書」

 

1 期間        平成25年6月11日(火曜日)~平成25年10月6日(日曜日)
              ※ 休館日 : 月曜日、国民の祝日

2 展示場所     埼玉県立文書館 1階展示室  アクセス

3 観覧料       無料

  こちらをクリックして下さい →  戸谷家文書リーフレット外側.pdf 
                        
戸谷家文書リーフレット内側.pdf



■開催にあたって


 今回のコーナー展示では、平成24年度に文書の整理が完了し目録が刊行されたのを機に、戸谷家文書展を開催いたします。
 戸谷家は中山道本庄宿に居を構えた商家で、近世後期には江戸にも出店を持つ、関東 を代表する豪商として知られていました。
 戸谷家の当主は、災害や飢饉に際しての救済活動や、自費での橋の架け替えをはじめとする数々の功績により名字帯刀を許され、本庄宿の宿役人も勤めました。
戸谷家文書は約8,000点にのぼる文書群で、そのうち商業に関する文書がおよそ80%を占めています。本庄という一地方の商家の文書群としては、県内において第一の資料といえるでしょう。
 今回の展示では、商業関係文書を中心に展示するとともに、あわせて俳諧関係資料も紹介します。
平成25年6月

埼玉県立文書館長


1 商家「中屋」の誕生

 戸谷家初代半兵衛光盛は、正徳5(1715)年12歳の時に、叔父杢兵衛が勤める江戸の中屋勘兵衛 店に奉公に上がりました。その後、享保18(1733)年に本庄に戻り、中屋勘兵衛店別家「中屋半兵衛店」の名を掲げ、本庄宿新田町に店を構えました。
創業当初は太物小間物類を扱っており、商売が軌道に乗るにしたがい資産も増え、初代光盛の時に中屋の基礎が築かれました。
二代目修徳は安永元(1772)年に跡を継ぎましたが、3年後に30歳の若さで他界したため、修徳の長男光寿が2歳で三代目を継ぎました。そのため、隠居した光盛が後見人となりました。
中屋は初代から三代までの間に商売を拡げ、江戸にも出店を持つ関東有数の豪商に成長したのです。

2 「中屋」の繁栄

 中屋は地元本庄、また江戸から仕入れた商品だけではなく、京都や大坂の商品も取り扱っていました。
そして、宝暦13(1763)年初代光盛の時に江戸日本橋室町(室町店)に、文化2(1805)年三代光寿の時に神田橋御門外三河町(神田橋店)に出店を設けることとなります。
順調に商売を拡げ、経営も安定した中屋ですが、文政期に入ると幕府の経済政策に関連した事業を請け負うようになりました。
文政2(1818)年には、神田橋店の島屋吉兵衛が、幕府から金銀貨幣の新吹金引替御用を申し渡されます。吉兵衛以外では、為替方の三井家をはじめ、本両替の播磨屋新右衛門など17店が申し付けられており、当時中屋が豪商のひとつに数えられていたことがわかります。
それ以外にも、神田橋店では菱垣廻船問屋や大名・旗本に対して、巨額の融資を行っていました。

3 戸谷家と神流川の渡し

 商家として繁栄した戸谷家の歴代当主は、数々の慈善事業を行いました。なかでも有名なのが、「神流川の無賃渡し」と呼ばれるものです。
神流川は武蔵と上州の国境を流れる川で、当時この渡河をめぐり数々の訴訟が起きていました。
初代光盛は、幕府に対し「神流川を渡る人々から通行料を徴収することなく、無料としたい」と願い出ました。
その結果、合計200両を幕府に上納し、利子30両により神流川の渡しが運営されたため、通行料を取ることなく、渡河できることとなったのです。
当時の1両は今の約10万円に相当すると考えられるため、200両は現
在では約2,000万円となります。

 

コーナー展示「栗橋関所関係文書展2―幕末の動乱と栗橋関所の廃止」

8 御関処日記 辰四番
官軍(薩摩藩)通行の記事【足立家61-1】

「御関所日記」「御用留」等
「御関所日記」「御用留」等
『埼玉県史料叢書第16巻』収録分【足立家59ほか】

子供あそびぼんでんまつり(戊辰戦争風刺錦絵)
27 子供あそびぼんでんまつり(戊辰戦争風刺錦絵)
左が薩長等、右が会津・仙台等【足立家1051】

1 期間        平成25年3月5日(火曜日)~平成25年6月2日(日曜日)
              ※ 休館日 : 月曜日、国民の祝日、特別整理期間(5月8日~14日)

2 展示場所     埼玉県立文書館 1階展示室  アクセス

3 観覧料       無料

  こちらをクリックして下さい →  栗橋文書展2リーフレット(表).pdf
                                                 栗橋文書展2リーフレット(裏).pdf


■開催にあたって

 江戸時代の栗橋の地は、五街道の一つである日光街道栗橋宿として発展しました。また、この地は利根川の渡河点でもあり、交通の要衝であることから、江戸幕府によって人や物資の往来を管理するための関所が設置されました。栗橋関所は、明治2年(1869)に廃止されるまで、江戸幕府の交通・流通支配を担う拠点として機能しました。
 当館には、この栗橋関所の管理・運営にあたった番士の一人である、足立家の史料約 1,300点が寄託されており、「足立家文書」として公開されています。この足立家文書のうち「栗橋関所日記及び関係資料」94点は、平成15年(2003)に埼玉県指定文化財に指定されました。県ではこの貴重な史料を県民の皆様に活用していただくため、その一部を『埼玉県史料叢書 栗橋関所史料』として翻刻し、計画的に刊行してまいりました。
 本展示は、その最終巻となる『埼玉県史料叢書第16巻 栗橋関所史料五』の刊行を記念して、第16巻に収録される「御用留」「御関所日記」などから、戊辰戦争を中心とする幕末の動乱と栗橋関所の廃止に関する史料を紹介するものです。
 本展示を通じて、本県における幕末維新期の歴史について理解を深める一助となれば幸いです。
平成25年3月

埼玉県立文書館長


1.戊辰戦争の開戦と栗橋宿打ちこわし

 慶応4年(1868)正月3日、鳥羽・伏見の戦いが勃発(戊辰戦争開戦)、官軍(新政府軍)は江戸に向かって進撃を開始しました。栗橋関所(正式には「房川渡中田関所」)の「御用留」には、「大坂大戦」があって徳川慶喜・松平容保が船で急に江戸に帰って来たことを知らせる諸家の早駕籠が10・11日頃に通ったとあります。25日以降、負傷して国元へ帰る会津藩士が栗橋関所を通行し、2月17日には隠居した容保が通っています。
 3月9日、東山道軍は熊谷宿に到達、下野国梁田宿(栃木県足利市)の旧幕府軍(8日まで羽生陣屋に在陣)を撃破、翌日には羽生陣屋を焼き討ちしました。このとき栗橋宿には旧幕府の新遊撃隊が宿泊しており、官軍襲来の情報もありましたが、同隊は退避して事なきを得ました。しかし、羽生陣屋焼討ちを契機に発生していた打ちこわし・放火が、12日には栗橋宿に波及して関所も襲撃されました。
6 羽生陣屋他放火・打ちこわし家々書出【鬼久保家2615】
6 羽生陣屋他放火・打ちこわし家々書出【鬼久保家2615】


2.戦況の推移と栗橋関所

 栗橋関所史料には、軍勢・武器の通行記事や各地の戦況に関する情報が多数記載されています。
 慶応4年(1868)4月初め、宇都宮藩救援に向かう官軍が栗橋関所を通行しました (11日江戸開城、脱走兵多数)。16・17日の下野国小山の戦いで官軍は敗退し、18日には関所の通行改めを厳重にするよう官軍から指示が出ています。宇都宮城が落城した翌日の20日、官軍の命によって彦根藩士が関所へ勤番することになりました。勤番は古河藩に交代し、通行改めは勤番藩士が担当、番士は立会として関所に出勤しました。ちなみに、4月26日には、板垣退助(土佐藩士)が関所を通行しています。
 6月初め、旧幕府勘定所が民政裁判所となった知らせを受けた番士たちは、関所が存続するならば継続勤務したいと希望しましたが、奥羽・下野が鎮静するまでは、通行改めは勤番の古河藩士に任せたい旨伺いを立てています。その後、一旦罷免される等の曲折を経て、番士は「朝臣」となり、9月1日より立会出勤が始まり、通行改めは引き続き勤番藩士が行いました(席次は番士が上席)。
徳用奥羽屋
28 徳用奥羽屋

 ろうそく屋を描いた錦絵です。会津藩を中心とする東北諸藩と官軍(薩長等)の戦いが長引いている状況を、売買の交渉がうまくいかない様子で暗示しているとされます。ろうそくは会津の名産で、のれんの「徳用」は「徳川」とも読めます。そろばんをはじいている大番頭が会津藩、腰掛けて値段を掛け合っている人物が長州藩(毛利)です。


3.栗橋関所の廃止

 慶応4年(1868)9月8日、改元して明治となり、15日仙台藩、22日会津藩、24日庄内藩が降伏しました。11月末に至り、奥羽筋が鎮静したとして、古河藩の栗橋関所勤番解除が決定し、12月1日をもって、勤番藩士が引払い、通行改めは番士が行い、旧に復することになりました。
 翌明治2年(1869)正月20日、箱根をはじめとする全国の関所を廃止する布告が出されました。栗橋関所に正式な通達が届いた2月18日、番士たちは、即刻通行改めを取り止め、葛飾県へ引き渡す関所の建物・高札・書物・鉄砲・諸道具を宿役人に預けて、関所を引き払い役所に帰りました。ちなみに、「御関所日記」に記事がある最後の通行は、17日の降伏した会津藩士320人です。
 今回の展示では、関所廃止後の足立家等の動向に関する史料も展示します。
34 葛飾県御達写(家禄給与等に付達)【足立家61-5】
34 葛飾県御達写(家禄給与等に付達)【足立家61-5】


コーナー展示「栗橋関所関係文書展2―幕末の動乱と栗橋関所の廃止―」展示資料一覧

No.資料名年月日文書番号 期間
 1 戊辰戦争の開戦と栗橋宿打ちこわし   
1御用留 拾四冊之内十三番―展示箇所は出流山事件―慶応 3.正.元~足立家57後期
2御用留 拾四冊之内十四番終―展示箇所は松平容保通行―慶応 4.正.元~足立家58前期
3御関所日記 戊辰二番―展示箇所は栗橋宿打ちこわし―〔後期はパネル〕慶応 4. 2.14~足立家59全期
4御関所日記 戊辰三番―展示箇所は新遊撃隊宿泊と官軍来襲の報―〔前期はパネル〕慶応 4. 3.19~足立家60全期
5御触書写(薩賊召捕・討取の儀につき触書)慶応 4.正.13高橋(周)家192全期
6羽生陣屋他放火・打ちこわし家々書出〔パネル〕慶応 4. 3.10~鬼久保家2615全期
7高札(五榜の掲示第2札 徒党・強訴・逃散禁止)慶応 4. 3小島(栄)家1260全期
 2 戦況の推移と栗橋関所   
8御関処日記 辰四番―展示箇所は官軍(薩摩藩)通行―慶応 4.閏4. 27~足立家61-1前期
9御関処日記 辰五番―展示箇所は番士と古河藩士の席次等―慶応 4. 8.20~足立家62後期
10江戸より日光まで宿場絵図〔パネル〕 稲生家(旗本)724全期
11野州宇都宮城(絵図)〔パネル〕 小室家746後期
12房川渡中田御関所御達扣慶応 4. 4.21~足立家177前期
13世態見聞誌 第二帖―展示箇所は市川・船橋戦争―慶応 4林家7042後期
14内外新報 第十一号―展示箇所は古河藩の関所警固等―慶応 4.閏4. 3林家7293のうち後期
15御府内市中有志中(府内官軍討払の旨等張札写)慶応 4.閏4. 6足立家180前期
16江城日誌 第五号 〔パネル〕―展示箇所は上野戦争―慶応 4. 5.16林家7282全期
17彰義隊と官軍との戦につき書状慶応 4. 5.18西角井家791後期
18中田・栗橋両宿江御官軍御用ニ付増助郷被仰村正勤ニ付慶応 4. 5.朔~大熊家3795後期
 日〆惣代并両宿役人其外附届諸懸り取調拾三ヶ村割合帳〔パネル〕   
19覚(関所・高札・付属の品々引渡目録)慶応 4. 7足立家178全期
20房川渡中田御関所絵図面〔パネル〕 足立家244全期
21民政裁判所勤仕仰出につき廻状等写 慶応 4. 5.晦~足立家296後期
22松平若狭守言上書(松平容保降伏謝罪書等写)慶応 4. 9足立家152全期
23会津若松城周辺絵図 林家7006全期
24諸侯方より拝領目録金留帳明治元.10.朔~足立家350前期
25御扶持御給金請取帳明治元.11. 3~足立家375後期
26太政官貨幣方鑑札(慶応4.閏4ヵ)足立家232全期
27子供あそびぼんでんまつり(戊辰戦争風刺錦絵)〔前期はパネル〕(慶応 4. 5ヵ)足立家1051全期
28徳用奥羽屋(戊辰戦争風刺錦絵)〔後期はパネル〕(慶応4)小室家6362-1全期
 3 栗橋関所の廃止   
29御関処日記―展示箇所は古河藩勤番解除―明治元.12.朔~足立家63-1後期
30御関処日記―展示箇所は関所廃止―明治 2. 2. 5~足立家64前期
31太政官日誌 明治二年第八〔パネル〕―展示箇所は関所廃止―明治 2.正.17~行政文書明11のうち全期
32太政官日誌 明治二年第十三―展示箇所は関所廃止―明治 2. 2. 2~林家7706全期
33史生の辞令(葛飾県) 明治 3. 5足立家302前期
34葛飾県御達写(家禄給与等に付達)〔パネル〕明治 4. 2足立家61-5後期
35御届書(印旛県免職、栗橋旧宅へ引越に付届)明治 5. 5足立家301後期
36家禄奉還御願書〔パネル〕明治 7. 6足立家61-6前期