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【休館日】
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カウンタ

COUNTER492003

平成30年度 もんじろうかわら版


2018/11/14

30-14 26名が岩槻城下の道約8㎞を完歩

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 26名が岩槻城下の道約8㎞を完歩

 平成301027日(土)に開催された地図教室は、早朝までの大雨がやんで、幸運なことに、晴天のもとで開催することができました。

 集合場所の岩槻郷土資料館は、もとは岩槻警察署だっただけに、外見は厳めしいけれど、内部には丸窓や彫刻が随所に施された、お洒落な建物でした。申込者30名のうち、4名が事前に欠席届を出されたため、26名の参加となりました。参加者は県内各地から集まってくださり、最も遠方では秩父郡横瀬町からお出でになった方もありました。

 講義

 開講式の後郷土資料館小倉学芸員の講義「古絵図からみた岩槻城と城下町」は岩槻八景の挿図と城絵図を対比して、大手門、二重櫓、空堀などの位置を同定するといった興味深い内容でした。また、近代化の過程で、城郭の中枢部を貫いて県道浦和春日部線が開通したことや、川口と蓮田を結ぶ武州鉄道が大正13年に開通し、岩槻駅が現在の太田小学校付近におかれたものの、東武野田線が開通すると経営が苦しくなり、わずか15年で廃線となったことなども紹介されました。


 
野外巡検

  ① 出発から時の鐘まで

 玄関前で2班編成を行い、元気に野外巡検に出発しました。途中、講師の岩槻観光ボランティア会の石原会長からは日光御成街道と町屋の家並、瓦鍾馗(しょうき)、一里塚などの解説がありました。しかし、12時からの鐘撞きに間に合わせる必要があり、後半は足早となりました。時の鐘は約300年前に鋳造された現役の梵鐘であることに価値があり、「岩槻に過ぎたる物は時の鐘と児玉南柯(こだまなんか)」と言われたほどです。つい20年ほど前までは近傍に住む旧士族の家の人が朝夕の6時に撞いていましたが、現在は自動装置で突然なり出すので、ちょっとビックリでした。しかし、御城下に十分届く素晴らしい鐘の音を、生で聴けたことはまことに幸運でした。

        
 〇正午の時の鐘が鳴るのを待つ参加者


  
② 時の鐘から城址公園まで

 時の鐘の見学後、諏訪小路(すわこうじ)を大手方向に左折し、良好に残る空堀を地図と見比べることによって、大手門と櫓(やぐら)のあった位置を確認しました。現在は市街地化されてしまった本丸跡の少し先で右折し、岩槻城址公園へ向かいました。四阿(あずまや)でお昼休みを採り、体力の回復を図りました。水場に来る翡翠(かわせみ)を見に行って、見事な写真を撮った方もいました。

〇城絵図を示しながら大手前の空堀について解説


  
③ 城址公園から諏訪神社まで 

 出発前に、観光ボランティアの石原会長さんから、新郭(しんぐるわ)と鍛冶郭(かじぐるわ)が豊臣方の攻撃を予測して防禦(ぼうぎょ)を強化するために増設された陣地であったとの説明がありました。また、地図センター担当からは、明治14年発行の迅速測図原図(じんそくそくずげんず)を用いて、岩槻城の築かれた場所の地形と川や谷の防御機能について説明を行いました。

 沼に架かる八つ橋を渡り、今回の見学場所のハイライトである鍛冶郭の両端が鉤(かぎ)の手になった空堀とそこに設けられた堀障子址(ほりしょうじあと)を見学しました。石原さんからは小田原北条氏本城と支城に共通する特徴である堀障子について詳しい説明がありました。岩槻城址は、地元の人々の尽力によって大正14年に県旧跡に指定されており、その記念碑前でも説明がありました。次に、かつての岩槻城の城門であった黒門を見学しました。

 その後、黒門から表へ出て、歩道を100mほど進み、市民会館の先で左折して岩槻商業高校の東側を通る小路へ入りました。ここには大きな谷が入っており、大手門方向に伸びているので、岩槻城大手の防禦に有効でした。そこから200mほどで諏訪神社に到着しました。覆い屋の中には、一間社流造(いっけんしゃながれづくり)の古びた本殿が安置されており、平成26年度に、さいたま市指定文化財となりました。諏訪神社は岩槻城を守護する軍神でした。

〇鍛冶郭の堀障子の解説


 
 ④ 諏訪神社から藩校遷喬館(せんきょうかん)まで

 諏訪神社を出て、旧士族の屋敷跡を横目で見ながら諏訪小路を左折し、すぐに右折すると、教育委員会の発掘調査によって堀障子が発見された場所にさしかかりました。近くの竹藪には、高さ2mほどの土塁がいまだに残っていました。この先の岩槻中学校の裏手には「大構の小径(おおがまえのこみち)」と名付けられた静かな周遊歩道があり、かつての大構(豊臣方の攻撃に備えて、城郭だけでなく町屋も含めて外側に大土塁を短期間で廻らしたもの)の外側に接する堀跡でした。また、中学校の南東側に隣接する太田小学校の敷地には、かつて武州鉄道岩槻駅がありました。

 車通りの多い天神小路では一列安全歩行で進みました。藩校遷喬館に到着すると、座敷に上がり、足を延ばして歩行の疲れを癒(いや)しました。講師の岩槻観光ボランティア会の松澤副会長より、遷喬館は児玉南柯という藩士で儒学者の私塾でしたが、のちに藩に献上され、藩校となったことや、もとは武道場や馬場などを含む二千坪ほどの広大なものであったという解説がありました。


  
⑤ 遷喬館から芳林寺での解散まで

 遷喬館から横町(栄町)通りを経て県道に出て、歩道を進んで資料館方面へ戻り、八雲神社に到着しました。ここはかつての市神さまで、すでに戦国時代には存在していました。江戸時代の絵図から、日光御成街道の路上中央に祀(まつ)られていたことが知られています。

 県道の西側に沿っている有楽館通りを200mほど進むと最後の見学地芳林寺です。参道が長く、山門も立派な大寺院でした。垣根の手前には太田道灌(おおたどうかん)の騎馬像もありました。

 木戸を開いて本堂前に至ると、石原会長から、この寺が曹洞宗の禅寺であること、太田道灌の子孫である太田氏資(うじすけ)とその母芳林尼(ほうりんに)の菩提寺とされており、吉見町の松山城下に太田三楽斎が建立した寺を移したものであることなどが説明されました。また、明治4年に埼玉県庁が短期間ここにあって、すぐに浦和に遷(うつ)ったことも教えていただきました。

 墓地に向かい、最初に太田氏資供養(くよう)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、次に高力正長(こうりきまさなが)供養の宝篋印塔を参拝・見学しました。ともに夭折の領主でした。また、岩槻出身の画家でパリに客死した田中保の墓にも詣でました。

 最後に、本堂前に集合して、閉講式を行いました。誰一人、体調不良者はなく、26名全員が元気に帰途に就かれたのは何よりでした。アンケートによれば、満足度も高く、城下町の地理や歴史についていろいろ学んだ有意義な一日であったと記してくれた方もありました。(荒川次郎)

 
 文書館のマスコット もんじろう

    

15:06 | イベント紹介